アナリストは電動プラグの夢を見るか

パパとママには言えない性癖の世界へ…

RUBBER SOUL / THE BEATLES 1965年リリース

は今ではロックの歴史に燦然と輝く大名盤です。生まれて初めて聴いたのは中3の夏(80年代初期)でした。

当時流行ってた洋楽は、TOTO、ASIA、THE CLASHなどで邦楽なら、中森明菜がデビュー、ヒロシ&キーボーの「三年目の浮気」、あみんの「待つわ」が流行ってた頃で、ビートルズ史ではデビュー20周年の記念の年でもありました。

そんな最中にテレビではビートルズの特番を頻繁にやっていて、それを観て単純に感化されたわたしは同級生の女の子からLPレコード借りてカセットテープに録音してました。

彼等(以後ビートルズのことを示す)のデビューからの「溌溂でキャピキャピ」な印象から比べると、このアルバムでドン引くぐらい「どうしたの?」と心配するほど落ち着いてしまって、恐らく今迄通りのイメージを求めてたファンはここでファンを辞めてたのかもしれません。

一曲目の、Drive My Car、のノリに納得はできても、大名曲の2曲目からの気怠くちょっと不穏な雰囲気についていけない人も多い筈。女の子にエッチ拒絶される、恋人と絶交、切実な恋心の告白、など、歌詞内容は少し暗い感じで、このアルバムから演奏方法は恋愛が絡む感情表現をいかにリアルに行うかという方向性が見られるようになりました。

ファーストアルバムからヘルプまでの人に媚びたような可愛らしさがなく、実体験が元になって出来た歌詞で失恋や裏切りとその他の失意がメインになってちょっと灰色な感じのアルバムが出来上がった、とも思うんです。

またこのアルバムからサイケデリックムーブメントが始まったと言う人もいるようですけど、個人的な意見では違います。ノルウェーの森、にシタールが入ってサイケが始まったのなら、この曲の少し前のキンクスの一曲に導入された時になぜムーブメントにならなかったのか… 

確かに欧米でLSDなどのドラッグが流行ったようですが、歌詞に繋がる心象現象のもやもや感を曲の中で表現するのに使っただけで、若い世代に影響力の強いキンクスがサイケデリックを表現しているものではありません。やっぱり実質的作曲者のジョン・レノンもノルウェーの森でも「もやもや感」や「呆気に取られた感」を演出するためにシタールを導入しただけであって、サイケデリックムーブメント到来の史実と考慮すると、ムーブメントの始まりからズレてるんです。

「このアルバムと次作のリボルバーは連作」

とある評論家が言ってますが、作品の構想で視ると自作との関連性は薄いと思います。これはこれであれはあれで、1作品ごと完結しているし、ONE PROJECTでアルバムが二枚完成したわけでもないので、次作のことを考えないで、邪念なしでしっかりと楽しめるようになっております。

次作との共通点となると、ツアー終了時のオフ中に面子同士でアイデアを出し合って短期間で完成度の高いアルバムをリリースしたことでしょう。

このラバーソウルの面白さって1枚を通しドラマチックな展開があって個人的にはその集結部分がМ8からМ12あたりに感じます。Wait っていう評価されない一曲がありますが、失われつつある愛を取り戻そうとして焦る心情をもろ歌ってます。これってドラマのクライマックスな部分に相当するのですが、全14曲通した1枚で伝える主題って「愛って大事なんだよね?」っていうことですかね。だから「焦る歌」が出てくるわけですよ。

このアルバムでまだ書きたいことがあるのですが…

この辺でやめときます。

一応end

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