アナリストは電動プラグの夢を見るか

パパとママには言えない性癖の世界へ…

暑い日が続きます。お盆あたりからガンガン照りの日が続き、夏の終わりなのに「今が真夏」っぽい天候が続くと気分もうんざり。クソ暑い炎天下ではセミが悲鳴を上げる中でウシアブが乱舞、カレンダー状では秋で、学校関係の夏休みも終わっている筈のこの時期に、まだ海水浴ができるなんてやっぱり気候はちょっと怪しいものです。

ローリング・ストーンズの新作を7月の末から聴きまくっています。自宅のオーディオは勿論、愛車のカーステレオのハード・ディスク、相棒のカーステレオのハード・ディスクにまでぶち込んで…

前作から彼等は3人でアルバムをリリースして今回で3人体制の二作目に当たり、コンセプト的に簡単い解釈すると前作の続編に近い感じもしない訳ではないのですが、今回はしっかりブラックしています。初っ端からガンガンぶつかってくる岩塊のようなブルース、80年代初期型ソウル、単純にエイトビートのロックンロール、エイミー・ワインハウスの楽曲のカバー、など数種類ブラック・ミュージックの基本スタイルを略全曲オリジナルで示しているように聴こえます。他人には随分と贅沢だと思えるかもしれませんが、わたしの耳ではいつの時代にも聴かれたありきたりなアルバムのコンテンツで、驚きには繋がりません。

驚かなくても嬉しさはあります。この形式ばったコンテンツが新しいアルバムで戻ってきたのは、妙に懐かしいし「これが彼等だ」っていう納得感はあります。しかし感触的なものは既知の盤と違って、正確に商品として完全パッケージ化されたような感じは否めないのです。名盤と謳われてきたアルバム群は、サウンドがレコードに収まってもちょっと苦い「荒さ」があったわけで、翻訳不可のアドリブ絶叫があれば、走り気味にテンポアップする楽曲があり、レコーディング時のキースかロニーによるギターサウンドの選択ミスがあり、荒さとは風味のようなものでした。

過去の作品を例にするのは申し訳ないのですが、『メインストリートのならず者』は、プロデューサーが決めたらしい基準をちょっと彼等がはみ出して収録され、更にそれをプロデューサーが承認し、レコード会社が1972年に世界にぶっ放しました。知っての通りの荒削りでちょっと暴力的な演奏と雰囲気にアルコールとドラッグのハイな状態のボーカルが混入した凶暴な2枚組は今や彼等の名刺的な傑作です。今時分の一般的な感性では、未精査、未処理、で商品にはならない、と判断され駄作の烙印を押される可能性が高いと思います。

「ドライで荒削りでコッタコタな演奏でボーカルがアドリブで歌詞にない絶叫している」

これが自分流のストーンズでしたが、前作の『ハックニー・ダイアモンズ』から完全商品化・完全パッケージ化の傾向が見られ、『フォーリン・タングス』で2026年に相応しい売り物が完成してしまった感じです。音割れ一つないギターサウンド、ビル・ワイマンやチャーリー・ワッツよりも抜群なテクニックを聴かせるベーシストとドラマー、美声のような歌声、そして出来上がった楽曲をプロデューサーのアンドリュー・ワットがお上手に完全商品として纏めたのでしょう。

豪華な食材が詰まったコンビニの弁当に向き合った時のような感じが否めないのですが、この時代のリリースにはパッケージ化された完全高級商品化しかないのでしょう。

前作からミック・ジャガーのボーカル・トラックは調整されています。

残念なことに今回のアルバムは傑作です。

短期間で精巧なオリジナル楽曲群を完成させてるのですから…

end

アンドリュー・ワットのプロデュースはどうしても好きになれません。

わたしはローリング・ストーンズ弁当は好みではないのです。

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